板チョコ、ミルクチョコ、ココア…普段目にするチョコレートとその仲間たち。私たちの生活に当たり前のように溶け込んでいるチョコレートですが、どうやってここまで流通したのでしょうか。
初めてのチョコレートは?初めての板チョコとは?
チョコレートにまつわる「初めて」をまとめてみました。
チョコレートは最初、飲み物だった
「チョコレート」という名前は、チョコレートというよりカカオの原産地である南米のマヤ語が由来。「カカオの水」という意の「cacahuatl」という言葉が、スペイン人の入植によって「chocolatl」と変化したのだそうです。
そう、当時はチョコレートとはもっぱらカカオを含む飲料水であったわけです。南米の人々は、カカオの種を砕いて粉にして飲み物にしていました。
専門家によると、マヤの人々は温かくしてのみ、アステカの人々は冷たくして飲むことを好んだのだとか。社会での階級が高くなるほど、チョコレートの消費量も多かったようです。
世界初の「チョコレート工場」
映画のタイトルみたいですが、世界で初の近代的なチョコレートの工場が登場したのは1819年。
創業したのは、フランソワ・ルイ・カイエというスイス人でした。
イタリアのトリノにある製菓商カファレルでチョコレートの技術を習得したカイエが、スイスのレマン湖の近くに開業した工場こそ、近代の起業家精神と技術を融合した世界初のチョコレート工場とされています。
世界初の「ココアパウダー」
日本のスーパーでも目にする「バンホーテン」。これが、世界で初めてココアパウダーを販売した男性の名字です。
コンラッド・ヨハネス・ヴァン・ホーテンは、オランダの化学者でした。ヴァン・ホーテンは実験に実験を重ね、1828年にカカオマスからカカオバターを分離させる油圧プレスを完成させました。これによって、ココアパウダーが大量生産できるように。
ヴァン・ホーテンはさらに、このココアパウダーが水に溶けやすいようにアルカリ塩を使用するようになります。そうして、固形のチョコレートの生産が可能になったわけです。
世界初の「板チョコ」
板チョコ発祥の地は、イギリスのブリストルです。ファミリー企業であった「フライ」が、1847年にココアパウダー、砂糖、ココアバターを混ぜて固形にするレシピを発明。
板チョコの発明は、まさにチョコレートの世界における大革命でした。これによって、チョコレートの消費方法が根底から覆されることになったのです。
世界初の「箱入りチョコ」
1868年に、美しい絵柄の箱にチョコレートを入れて販売し始めたのは、板チョコを発明した「フライ」のライバルであったリチャード・キャドバリーでした。彼は娘のジェシカに箱の意匠を託しています。
ヴァレンタインデー限定の箱を初めて売り出したのも、キャドバリーだといわれています。
世界初の「カカオパウダーの代用」
ナポレオンによって1806年11月21日に公布された「大陸封鎖令」。これによって、フランスとイギリス間の交易が封鎖され、カカオの価格が暴騰しました。
そこで、イタリア人のチョコレート職人たちが1813年に考案したのが、カカオパウダーを減らしてヘーゼルナッツを加える新たなチョコレートの製法でした。
これが、現代まで伝わる「ジャンドゥイオッティ」の先祖です。「ジャンドゥイオッティ」という名で販売が開始したのは、1865年の謝肉祭であったと伝えられています。
世界初の「ミルクチョコレート」
世界初の「チョコレート工場」を作ったカイエの娘婿ダニエル・ピーターが、1875年に販売にこぎつけた「ミルクチョコレート」。カカオとミルクの混合に、非常な困難があったことで知られています。
すでに、1867年にアンリ・ネスレによって発明されていた「粉ミルク」。これが、ミルクチョコレートの製造を成功に導いた鍵となりました。アンリ・ネスレはもちろん、現在も残る食品会社ネスレの創業者です。