海外のお菓子を食べて「よくこんな甘いの食べられるな」と感じた経験はありますか?お菓子が甘すぎる国といえばすぐ思い浮かぶのがアメリカですが、それに比べて、私たちの食べるスイーツは甘さ控えめですよね。
味覚センサーの数値で言うと、日本人が一般的に食べる甘さは3.0程度のものが多いです。一方、アメリカのお菓子に含まれる甘味は4.0程度で、砂糖の濃度としては2倍以上の差になっています。
これはなぜなのか、今回は日本人が甘さ控えめを好む理由に迫ってみたいと思います。
日本の甘味のベースは「米」
味覚の好みが形成されるのは幼少期。大人になってからでも極度に甘いものを食べ続けていれば甘味の感受性が下がり、より甘いものを食べるようになることもありますが、基本的には幼少期の食体験がベースになります。日本の甘さに慣れているから、アメリカの甘さが過剰に感じられるんです。
また、日本の主食は米。とくに日本人は米が大好きで、米をたくさん食べる傾向にありますよね。米が主食の国に行っても、日本ほど米がメインに置かれ、なおかつ量も多く出てくるところはないような気がします。味付けされていない米の味をそのまま味わうといった文化も、日本特有のものでしょう。
米には甘味があり、私たちは米の甘さを味わっています。米以外に世界で食べられている主食といえばパンやパスタですが、これらの甘味は強くありませんよね。
さらに日本人は煮物やソースにも当たり前のように砂糖を使い、甘味と塩味のコラボレーションを楽しみます。デザートが出てくる前に、十分な甘味を味わっているわけです。
甘味とともに塩味やその他の味を味わうというのが、日本人における甘味との付き合い方のベース。それに加えて日本の甘さに慣れていることが、日本人が甘さ控えめを好む理由でしょう。
歴史上での「砂糖のありがたみ」の違い
中世ヨーロッパでは薬として用いられていた砂糖ですが、11世紀に十字軍の影響でヨーロッパ各地に広まりました。12世紀頃から上流階級の間に広まり、コーヒーを飲むという習慣とともに消費量が増加。16世紀のブラジル近辺におけるサトウキビ栽培の拡大を経て、18世紀後半の産業革命によって安価な砂糖が生産できるようになりました[*1]。
白くて甘くて神秘的、そして高価な砂糖はヨーロッパ人にとって憧れの的だったようです。アメリカの場合はサトウキビ栽培の拡大時期と大陸発見時期が重なっていますから、砂糖を大量に使う文化が形成されたことも不思議ではありませんね。
一方、8世紀に日本に持ち込まれた砂糖を追ってみると15世紀に茶の湯が貴族・武士の間で流行し、それに伴って和菓子が発達。南蛮貿易にて砂糖の取引量増加ののち、18世紀中期に徳川吉宗が国内産糖の奨励策をとったことで、サトウキビの栽培がなされるようになりました。砂糖が庶民にも行き渡ったのは明治時代。産業革命での製糖技術が流入したことによるものです[*2]。
日本のほうがヨーロッパの国々よりも砂糖に接している期間は長いはずなのですが、サトウキビの栽培やその拡大は日本のほうが遅いです。では、その間日本人は何を渇望していたのでしょうか。それは、米です。
甘味はエネルギー源として脳が認識する、本能的に好まれる味です。ヨーロッパではその甘味がハチミツや砂糖でしか強く感じられなかったのに対し、日本には米がありました。
「白くて甘い」という点においては、砂糖も米も似ています。ヨーロッパの人々にとって「蜂を使わなくても甘味が得られる!しかも白くて綺麗だ…!」と晴天の霹靂であった砂糖は、日本人にはさほど響かなかったのかもしれません。
どちらにせよ、日本人の食文化における米の重要度はかなり高い……ということですね。
参考:
*1 砂糖の歴史(インドから西方へ)|農畜産業振興機構
*2 お砂糖の歴史|お砂糖研究所|知る・楽しむ|お砂糖はカップ印 日新製糖